今年もまた終戦記念日がやってくる。
そして今日は広島原爆忌だ。
それに伴い、TVでもよく、戦争に関する特集が放映されている。
私は戦争を知らない世代であるが、
知らないでは済まされないと、最近特にそう感じるようになってきた。
今思うと、あの時も知っているべきだった。
あの時、というのは、
アメリカで、いろんな国の人と混じって英語を勉強していた頃のことである。
クラスには、アジアの国出身の人も多かった。
フィリピン、ベトナム、韓国、香港。
クラスが始まってまだそんなに経っていないある日、
Readingのテストが行われた。
できた人から提出し、その後は自由ということで、私も早めに終えて、
カフェテラスで残りの時間を過ごすことにした。
カフェテラスには、すでに終えたクラスメートが集まっていた。
その一角に私も座る。
とりとめのない話の中、
英会話もままならない私は、ただじっと聞くばかりであった。
が、どういう流れだったか忘れたが、
あるフィリピン人男性が言う。
「こんなにいろんな国の人が、同じ教室で一緒に学ぶというのは不思議なことだ」
一同みなうなづく。
そこへ、そのフィリピン人はこう続けた。
「戦争中、日本はアジアの国々にひどいことをした。
けれども今こうして一緒に英語を学ぶということはすばらしいことだ」
そこにいた日本人は私だけである。
みんないっせいに私の方を見た。
同じテーブルにいたのはフィリピン人と韓国人だった。
私はその時何も考えていなかったこともあり、
かなりあいまいな態度をとったと思う。
否、むしろみんなと同じ見解だったといえよう。
何の疑問も感じなかった。
その頃はまだ車がなかったので、
当時お世話になっていた日本人女性(アメリカ国籍を取っていたが)に
送り迎えをしてもらっていたのだが、
その日の帰り、その話をすると、
「アメリカは広島や長崎に原爆を落とした、と言い返せば良かったのに」
と言われた。
そのとき私は、なぜそういうことを言うのか理解できなかった。
たしかに事実としてはそうなのだけれど、
フィリピン人男性は、そういうことではなく、
今のこの平和を大事にしようという意味で話しただけなのに、
わざわざ蒸し返すこともなかろう。
そんな風に考えた。
しかし今ならこう言うだろう。
「日本はアジアを解放した」
ちなみに、フィリピンの人に限らず、
みんな私にとても親切にしてくれた。
車の送り迎えがなくなって困っていた時、
車を買うまで毎日送り迎えをしてくれたのは、ブルガリアの男性だったし、
宿題がわからなかったときは、スペインの女性が教えてくれた。
休み時間に声をかけてくれたのはベトナムの女性だったし、
図書館で出会ってハグしたのは、フィリピンの男性だった。
途中からクラスに入った中東の女性は、
授業のあと、こっそり顔を見せてくれ、
あまりにも可愛い女性でびっくりしたのを今でも覚えている。
学校の行事では、ガーナの女性と一緒に座って、いろいろ話しもできた。
本当にここには書ききれないほど、
みんなのサポートがあっての学生生活だったと思う。
ただ1人ロシア人だけを除いては。
どういうわけだか、彼女からは何かにつけ目の敵にされた。
そういう時は、みんなが守ってくれたけれど。